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人のふんどしでバンクーバー

いまさらながら、国母選手の件で、
ナンシー関さんが書いた千葉すず選手に
関する文章を思い出した。ネットで
探したけどなかったので、全文引用する。



千葉すずは日本に蔓延する「感動させてくれ病」
の特効薬か



「感動をありがとう」という、始まる前から
用意されていたフレーズで無理矢理の大団円の
うちに幕を閉じたアトランタ・オリンピック。

ここ数年、世の中に深く静かに広まっていた
「感動させてくれ病」は、オリンピックという
4年に1度の絶好のどさくさに紛れて、
飛躍的にその病状を進めた。何か急にタガを
外されでもしたように、誰はばかることもなく
「感動させてくれ」と大声で叫び出した。
すでに、それが「はばかられること」である
ことすら失念している。はたして
「感動させてくれ」と叫ぶことが人目を
はばかるべきことなのかという問題もあるが、
私は“べきこと”だと思えてならない。
はばかってくれよ、と思う。だって、ほんとに
ここ数年で、特にスポーツ絡みの「感動」は
とてつもない快楽に直結することを学んで
しまった上でのそのシュプレヒコールは
「私をキモチよくさせて」という意味で
しかないわけである。快楽の追求を人生の旨と
するなら文句は言わないが、「感動させてくれ」
と叫ぶ善男善女の方々のほとんどは、自分が
キモチよくなりたくて叫んでいることに
気づいていない。「頑張ってお国のために
メダルを取って来い」というエゴイズムを
悔い改めた正義が「感動させてくれ」だと
思っているのである。

「感動させてくれ」と「メダル取って来い」と
どっちがキツいか。どっちもどっち。どちらに
したってエゴである。悔い改まってなんか
いやしない。でも、テレビ的には好都合。
スポーツ競技会であるオリンピックがどう
転ぶかは人智の及ぶところではないけれど、
その成否を「感動」の量で計るというのが
テレビ番組とするなら、どうにでもなる。
一向に増えないメダル獲得早見表は国対抗の
競技会としての盛り上がりをそぐけれども、
「メダルなんかより感動」の正義に基づけば
“テレビ番組”は競技会の成否とは別の結果を
出すことができる。「敗れる感動」
「できない感動」「ダメだった感動」。それは
現実にもあるのだけれど、どうも
マッチポンプ臭い。選手の実家にカメラ
行きすぎ。恩師出てきすぎ。子供の頃の作文
捜してきすぎ。それもこれも
「感動をありがとう」というエンディングに
着地するための構成なのである。

無理にでも感動したってことにしたくて
しようがない中、千葉すずだけはダメらしい。
ようやく本題に入るが、この
「千葉すずバッシング」について言いたかった
のである。千葉すず、嫌われてるらしいでは
ないか。どう転んだって好かれるのが
オリンピック選手である。
思い返してみてほしいが、かつて嫌われた
オリンピック選手がいたか。
橋本聖子だって、決して世間的には
「いい加減にしろ」とはつっこまれないわけ
である。オリンピックの申し子、なんか
言われるんである。ちょっとやそっとのことは
美談に変換される。オリンピックはそれほどの
浄化作用を有しているのだ。絶対正義だから。
そんな中、千葉すずは叩かれている。
よっぽどのことである。千葉すずは
とてつもない悪行を犯したのである。

勝てなかったことも、態度がふてぶてしい
ことも、生意気なことも、不真面目そうに
見えることも、オリンピックの浄化作用を
ものともせずバッシングの原因として成立する
には弱すぎる。勝てなかったことは、
さっきから言っているように「感動」の前に
おいては問題無しだし、「ふてぶてしい」
「生意気」「不真面目」もオリンピックに
よって濾過されたなら「物おじしない」
「怖いもの知らず」「リラックス」くらいには
なる。

千葉すずが受け入れられなかった理由は、
視聴者(本来はもちろん観戦者であるが)が
勝手につくった「感動をありがとう」に
着地するはずの物語に乗ってくれなかった
からである。感動という快楽を享受、という
より貪るためにつくった物語に、千葉すずは
収まってくれなかったのだ。それで怒ってんだ。
いろんな要素をあげつらって、千葉すずを
否定しているが(これがまたたくさん
持ってっから千葉すず)、要するに
「私のステキなアトランタ物語を邪魔する
なんて許せない。せっかくキモチよかったのに、
キーッ」ということである。そんなチンケな
物語に乗ってやる必要などこれっぽっちも無い。

私たちはオリンピックをテレビでしか
見られない。けれどオリンピックを
バラエティ特番にするのはやはり間違いだろう。
バラエティ特番なら、わがままな視聴者
として「寛平ちゃん、絶対完走してね」なんて
注文つけても勝手だけど、オリンピックは
違うぞ。「メダル取って来い」も
「感動させろ」も、観戦者に言う権利など
あるのか。
「選手自身が一生懸命やりさえすれば━━」
なんていう、アマチュアリズムの甘美な
正義に逃げ込む気はないけど、とりあえず
あのあけすけな「感動したがり」は気持ち悪い。
快感が後楯にあるだけにちょっとや
そっとじゃ収まらないだろうし。
長野五輪、サッカーのワールドカップ、
加速つけるイベントも目白押しだ。
どうなるんだろうこの先。   ━━96年8月

(ナンシー関著『何が何だか』、角川文庫より引用)

14年前でこれだ。つくづく亡くなったのが
惜しまれる。もし彼女が存命なら、今回の
騒ぎをどう表現しただろうか。
(似たような事を昔書いたから読め、ってな
感じかもしれないが)

ワタシはナンシーさんの
“ちゃぶ台ひっくり返し文体”とも言える
ような、独特の自ボケ自ツッコミ文体が
好きだった。

ちなみに彼女の書いたフレーズで一番
気に入っているのは、
“くめども尽きぬ泉のごとくしゃらくさ
大行進は続くのである”だ。



(´・ω・)っ 参考商品

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コメント

普通の人が(マスコミの中の人ではない、という意味で)
なにかと、感動をありがとう、というのもひっかかるんですよねえ。
“感動をありがとう”
ってフレーズを聞くと、“ただのエクスキューズ”じゃんと思うと同時に
なんか虫酸が走ります。
ま、バンクーバーの時はまだ病院に突っ込まれていたので、
女子フィギュアとアルペンのスーパー大回転くらいしか見ませんでしたが。

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